食べ物

 

 

 

5月の上旬、個人的に休みであった日に、横浜を散歩した時の物です。横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。

 

 

この日は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を訪れ、日本丸(nipponmaru)の内部を見学し、そごう(sogo)デパート横浜店内にある美術館(そごう(sogo)デパートが運営している、私営の美術館)で、この時、行われていた、エ ロール・ル・カイン(Errol John Le Cain)の展覧会(exhibition)を見ました。

 

 

この日は、まず、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を訪れました。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)は、横浜の都心部の海沿いにある、横浜の港の歴史に関する資料館(規模の、小さな博物館)です。

 

 

写真以下3枚。横浜landmark tower。横浜landmark towerは、みなとみらい(minatomirai)地区に位置しています。みなとみらい(minatomirai)地区は、横浜の都心部の海沿いの地区の一つで、横浜の都心部で、最も、新しく開発された(1980年代から開発された(本格的な開発は、1980年代後半から))、横浜の都心部の、新しい住商複合地区です。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)及び、日本丸(nipponmaru)は、横浜landmark towerの、すぐ下にあります。横浜landmark tower(1993年完成。高さ約296m)は、完成してから、20年数年経ちますが、依然として、日本で、2番目に、背の高いビルとなっています。横浜landmark towerは、既に、世界的に見れば、ちょっとした、高いビル程度となってしまいましたが、大きなビルではあり、床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(去年完成した、アメリカで、一番、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei 101(世界で、4番目に、背の高いビル。2004年完成)や、Shanghai World Financial Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル。2008年完成)も、上回ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚の帆船。横浜landmark towerの、すぐ下に、保存・展示されている、日本丸(nipponmaru)。日本丸(nipponmaru)(約2,300トン(GT))は、1930年に、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造された、日本の、大型の帆船(sailing ship)です。日本丸(nipponmaru)については、後程、詳しく説明します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この日の昼食は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、レストラン・カフェ(cafe)で食べました。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、レストラン・カフェ(cafe)は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)(横浜市が運営している)が、直接運営している訳ではなく、また、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)が、民間の会社に運営を委託している訳でもなく、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)が、民間の会社に、館内のレストラン・カフェ(cafe)用の場所を貸す形で、民間のレストラン会社が、直接運営している感じです。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のレストラン・カフェ(cafe)は、イタリア料理レストランの、レストラン・カフェ(cafe)となっています(横浜みなと博物館(横浜minato博物館)に入館しなくても、利用する事が出来ます)。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のレストラン・カフェ(cafe)は、前は、(現在とは)、別の会社が経営する、イタリア料理レストランで、その時は、夕食で、利用した事があったのですが、現在の会社の経営となってからは、この時、初めて、利用しました。

 

 

 

屋外席で、日本丸(nipponmaru)を眺めながら食べました。

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。この時、私が、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のレストラン・カフェ(cafe)の、昼食バイキング(buffet)で食べた物(この日の昼食)。この他、デザート(dessert)を食べました。この日は、平日であったのですが、このレストラン・カフェ(cafe)は、平日の昼食は、(周辺で働く、会社員等が、気軽に利用出来る)、安いバイキング(buffet)形式となっている様です。安かったですが、まあまあ、質が高く、安い値段の割に、まあまあ、美味しかったです。


 

 

前菜等。

 

 

 

 

 

 

サラダ(salad)。サラダ(salad)は、お代わりしました。

 

 

 

 

 

 

スープ(soup)。

 

 

 

 

 

 

ピザ(pizza)、リゾット(risotto)、パスタ(pasta)。ピザ(pizza)とリゾット(risotto)は、お代わりをしました。この他、デザート(dessert)を食べました。

 

 

 

 

昼食後は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)に入館しました(横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を見学しました)。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)は、横浜の都心部の海沿いにある、横浜市が運営する、横浜の港の歴史に関する資料館(規模の、小さな博物館)です。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)は、この時、初めて入館しました(前から、少し気になっていたが、気になっていた度合いは、とても小さかったので、中々、訪れませんでした(中々、入館しませんでした))。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)は、想像していたよりも、見応えがあって(展示室は、地下に広がっていて、建物から想像するよりも、ずっと規模が大きい感じ)、展示内容、展示物等も、興味深く、想像していたよりも、面白かったです。また、ボランティア(volunteer)のガイド(guide)(展示物の解説員)の方(おそらく、かつて船に関係する会社で働いていて、定年退職された方)の説明も、詳しく、分かり易く、興味深く、とても、勉強になりました。

 

 

横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、パンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、展示の例。。。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、パンフレット(leaflet)等より。。。展示内容は、まあ、船、地理、都市、歴史に、ある程度、興味がある人以外は、少し、退屈してしまうかも。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真左下の船の模型は、あるぜんちな丸(Argentina maru。日本の客船。1939年完成。12,755トン(GT))の模型です。写真右下の船の模型は、日本の石油タンカー(oil tanker)、東京丸(tokyomaru)(154,000トン(DWT)。1966年完成)の模型です。東京丸(tokyomaru)は、完成当時、世界最大の、石油タンカー(oil tanker)でした。ちなみに、1950年代半中頃から1980年にかけての、世界最大の石油タンカー(oil tanker)の移り変わりは、シンク・レア・ペトロロア(Sinclair Petrolore)(55,000トン(DWT)。1955年。アメリカ)、ユニバース・リーダー(Universe Leader)(85,500トン(DWT)。1956年。アメリカ)、ユニバース・アポロ(Universe Apollo)(103,000トン(DWT)。1959年。アメリカ)、日章丸(nisyomaru)(132,000トン(DWT)。1962年。日本)、東京丸(tokyomaru)(154,000トン(DWT)。1966年。日本)、出光丸(idemitsumaru)(210,000トン(DWT)。1966年。日本)、ユニバース・アイルランド(Universe Ireland)(326,000トン(DWT)。1968年。アメリカ)、日石丸(nissekimaru)(372,000トン(DWT)。1971年。日本)、グロブティック・トーキョー(Globtik Tokyo)(477,000トン(DWT)。1973年。イギリス)、日精丸(nisseimaru)(484,400トン(DWT)。1975年。日本)、シーワイズジャイアント(Seawise Giant)(564,763トン(DWT)。1980年。香港)となっています。以上の11隻の石油タンカー(oil tanker)は、全て、日本製(日本の造船所で建造された物)です。ちなみに、シーワイズジャイアント(Seawise Giant)は、史上最大の石油タンカー(oil tanker)、且つ、史上最大の船で、シーワイズジャイアント(Seawise Giant)以降、現在に至るまで、シーワイズジャイアント(Seawise Giant)よりも大きな、石油タンカー(oil tanker)、及び、船は、建造されていません。


 

 

 

 

 

 

写真の船の模型は、客船、天洋丸(tenyomaru)の模型です。天洋丸(tenyomaru)(13,402トン(GT)。1908年完成)は、東洋汽船(1896年設立。かつて日本に存在した、海運会社。現在、存在している、日本の海運会社の東洋汽船(1974年設立)とは、別の会社)の客船で、日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ航路で活躍しました。内装には、日本の絹織物を、ふんだんに使ったアール・ヌーボー(Art Nouveau)様式の装飾が施されていました。姉妹船に地洋丸と春洋丸とがありました。

 

 

 

 

 

写真以下74枚。横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を見学した後は、日本丸(nipponmaru)の内部を見学しました。日本丸(nipponmaru)の内部を見学したのは、この時が初めてでした(日本丸(nipponmaru)の内部は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)同様、前から、少し気になっていたが、気になっていた度合いは、小さかったので、(外部は、この辺りを通りかかる際に、しょっちゅう(頻繁に)見ているけど)、中々、内部を見学しませんでした)。

 

 

写真以下74枚。日本丸(nipponmaru)。

 

 

日本丸(nipponmaru)(約2,300トン(GT))は、日本の、大型の帆船(sailing ship)で、1930年に建造されました。日本丸(nipponmaru)は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造されましたが、(新しい、より大きな練習用の帆船(日本丸(nipponmaru)二世。日本の帆船。世界でも有数の高速帆船)が建造され、1984年より使用されている為)、現在は使われておらず、この地で(横浜の都心部の海沿いで)、永久保存されており、入場料(安い)を支払う必要がありますが、誰でも、内部が見学出来る様になっています。ちなみに、日本丸(nipponmaru)と同時期に建造された、日本丸(nipponmaru)の姉妹船として(日本丸(nipponmaru)と同型の、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として)、1930年に建造された、日本の、大型の帆船(sailing ship)、海王丸(kaioumaru)がありますが、海王丸(kaioumaru)は、現在は、富山(toyama)県(北陸(hokuriku)地方(日本の中部地方の北西部)に位置する県の一つで、北陸(hokuriku)地方の東部に位置する)の港に、永久保存されています。

 

 

 

日本丸(nipponmaru)は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、すぐ前に、保存されており、実質的に、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の展示物の一部と言った感じになっています。

 

 

横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、パンフレット(leaflet)より。。。写真上側。日本丸(nipponmaru)の、全ての帆を広げる、催しが、年間、約12回、実施されています。写真下側。海を走る、日本丸(nipponmaru)の姿(これは、間違っていたら(合成写真でなかったら)申し訳ありませんが、イメージ写真(合成写真)かも。。。)。

 

 

日本丸(nipponmaru)は、1930年から、1984年に引退するまでの、54年間に、11,500名の、商業用の船の船員を育て、この間、地球を、45.4周する距離(延べ、183万km)を航海しました(横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のパンフレット(leaflet)より。。。)。


 

 

写真以下5枚。日本丸(nipponmaru)の外観。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下68枚。日本丸(nipponmaru)(以下、主に、この船と書きます)に乗船し、日本丸(nipponmaru)の内部を見学。。。前述の通り、日本丸(nipponmaru)の内部を見学したのは、この時が、初めてでした。日本丸(nipponmaru)の内部は、想像していたよりも、見応えがあり、面白かった(興味深かった)です。日本丸(nipponmaru)は、約85年前に建造された船ですが、やはり、古い船は、趣がありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本丸(nipponmaru)は、横浜landmark towerの、すぐ下に保存されています。横浜landmark tower(1993年完成。高さ約296m)は、完成してから、20年数年経ちますが、依然として、日本で、2番目に、背の高いビルとなっています。横浜landmark towerは、既に、世界的に見れば、ちょっとした、高いビル程度となってしまいましたが、大きなビルではあり、床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(去年完成した、アメリカで、一番、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei 101(世界で、4番目に、背の高いビル。2004年完成)や、Shanghai World Financial Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル。2008年完成)も、上回ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真右下の、大きな観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。将来、商業用の船の船員となる、商業用の船の船員を養成する学校の生徒の部屋。生徒の部屋は、共同部屋となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船なので、写真の部屋は、この船の、教室の一つ。

 

 

 

 

 

日本丸(nipponmaru)は、帆船(sailing ship)ですが、機関(エンジン)も付いていて、機関(エンジン)で航行する事も可能となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。この船の調理室。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この船が、現役で使われていた頃の、ある日の(1973年5月20日)の、食事の献立。おそらく、(当たり前の事として、献立には書かれていませんが)、(間食・夜食以外の)何れの食事も、ご飯(rice)又は、パンが付くと思います。朝食は、味噌汁(miso soup)、生卵、味付け海苔、佃煮(tsukudani。魚、貝類、海老等を、砂糖、醤油等で、甘辛く、煮つめた(よく煮た)、煮物食品)、漬物。昼食は、ハム(ham)サラダ(salad)、鯖の焼き物、お吸い物。夕食は、ローストチキン(roast chicken)、魚(太刀魚)の焼き物、中国風スープ(soup)。間食・夜食は、ハッサク(日本原産の、大型の、蜜柑類の果物の一つ)、サンドイッチ(sandwich)、インスタント(即席の。お湯を使って、簡単に出来る)ラーメン(instant noodle)。これは、おそらく、生徒向けの食事の献立であると思いますが、先生(航海士等)や船長向けの献立(食事の内容)が、生徒向けの献立(食事の内容)と、同じであったのかは、分かりません。参考に、軍隊に関しては、第二次世界大戦以前の、日本の海軍においては、船での、士官と、一般の兵隊の食事の内容は、全く、違った様ですが、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に当たる。近代の、日本の海軍(1872年から1945年)の、形式的な伝統は、ある程度、引き継いでいる。おそらく。。。)の、現代の、船での食事は、士官の食事も、一般の自衛隊員(一般の兵隊)の食事も、(食器が異なる位で)、内容は、基本的に同じな様です(おそらく。。。間違っていたら、済みません)。第二次世界大戦後の日本は、何でも、階級格差を消滅させようとする動きにあったので、日本丸(nipponmaru)においても、おそらく、少なくとも、第二次世界大戦後においては、生徒の食事も、先生(航海士等)や船長の食事も、(異なるとしたら、ほとんど、食器位で)、基本的に、同じであったのではないでしょうか。。。

 

 

 

写真以下2枚。この船の、調理員(料理を作る部門の担当の人々)の部屋。共同部屋となっています。もちろん、料理長(chef)は、しっかりとした資格を持つ、専門の料理人が雇われていたと思いますが、調理員(料理長(chef)の指揮の下で料理を作る、料理を作る部門の担当の人々)は、生徒の中から選ばれたのか、それとも、専門の従業員が雇われていたのかは、よく分かりません。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この船には、もちろん、専門の医師(医者)が乗船していましたが、写真の部屋は、医師(医者)を補佐する、看護長の部屋。個室となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下11枚。この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、写真以下11枚は、この船を、一つの学校として見た場合、先生に当たる、しっかりとした資格を持つ、航海士等の、部屋の例です。先生に当たる人々(航海士等)の部屋は、全て、個室となっています。

 

 

 

写真以下2枚。三等、航海士の部屋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。機関部員(おそらく、機関部門担当の生徒)12人を束ねる、操機長の部屋です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。通信長の部屋です。無線室で、遭難等の、重要な通信があると、自動的に警報が鳴る、緊急自動受信機が、特別についています(展示の説明より。。。)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。一等、航海士の部屋(記憶が曖昧ですが、確か。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下7枚。船長の部屋。前述の通り、この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、この船を、一つの学校として見た場合、船長は、校長先生に当たります。船長の部屋は、二部屋に分かれています。


 

写真以下3枚は、船長の執務室として使われていたと共に、寄港地において、来客の応対・接待をする部屋として使われていた部屋です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。船長の、個人的な部屋です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。船長の部屋の、バスルーム(bathroom)。この船は、おそらく、船長の部屋以外は、バスルーム(bathroom)は、全て、共同のバスルーム(bathroom)ですが(おそらく、体を洗う施設は、シャワー(shower)位しか付いていない)、船長の部屋には、風呂(浴槽)が備わった、個人的なバスルーム(bathroom)が付いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この船の、船長(校長先生に当たる)と、航海士等(先生に当たる)が、食事、会議、娯楽、社交等に使っていた部屋です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。前にkjで、アップ(upload)した写真の、再利用。写真以下3枚の、帆船(sailing ship)は、日本丸(nipponnmaru)二世です。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT))は、日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航。横浜の都心部の海沿いに、永久保存・展示されている)の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)で、1984年に使用が開始されました。姉妹船に、海王丸(kaioumaru)(1930年就航。日本丸(nipponnmaru)の姉妹船の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship))の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)、海王丸(kaioumaru)二世があり、日本丸(nipponnmaru)二世は、海王丸(kaioumaru)二世と共に、世界でも、有数の高速帆船となっています(wikiより。。。)。

 

 

 

写真右側の船が、日本丸(nipponnmaru)二世。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT)。1984年就航)。日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航)よりも、少し、大きいです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜散歩&食べ物後編へ続く。。。

 

 

 

 

 

 

 


요코하마 산책&음식 전편

 

 

 

5월의 초순, 개인적으로 휴일인 날에, 요코하마를 산책했을 때의 물건입니다.요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시입니다.나는, 요코하마는, 일의 용무에서도, 잘 방문합니다만, 요코하마의 항구도시의 분위기를 좋아하고, 휴일에도, 잘 놀러 갑니다.

 

 

이 날은, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)을 방문해 닛폰마루(nipponmaru)의 내부를 견학해, 소고(sogo) 백화점 요코하마 점내에 있는 미술관(소고(sogo) 백화점이 운영하고 있는, 사영의 미술관)로, 이 때, 행해지고 있던, 에롤·르·카인(Errol John Le Cain)의 전람회(exhibition)를 보았습니다.

 

 

이 날은, 우선, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)을 방문했습니다.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)은, 요코하마의 도심부의 해안에 있는, 요코하마의 항구의 역사에 관한 자료관(규모의, 작은 박물관)입니다.

 

 

사진 이하 3매.요코하마 landmark tower.요코하마 landmark tower는, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 위치하고 있습니다.미나토미라이(minatomirai) 지구는, 요코하마의 도심부의 해안의 지구의 하나로, 요코하마의 도심부에서, 가장, 새롭게 개발된(1980년대부터 개발된(본격적인 개발은, 1980년대 후반부터)), 요코하마의 도심부의, 새로운 주상복합 지구입니다.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관) 및, 닛폰마루(nipponmaru)는, 요코하마 landmark tower의, 바로 아래에 있습니다.요코하마 landmark tower(1993년 완성.높이 약 296 m)는, 완성하고 나서, 20 연수년 지납니다만, 여전히, 일본에서, 2번째에, 키가 큰 빌딩이 되고 있습니다.요코하마 landmark tower는, 이미, 세계적으로 보면, 약간의, 비싼 빌딩 정도가 되어 버렸습니다만, 큰 빌딩이어, 바닥 면적은, Empire State Building나 One World Trade Center(작년 완성한, 미국에서, 제일, 세계에서, 3번째에, 키가 큰 빌딩)를, 훨씬 더 웃돌아, Taipei 101(세계에서, 4번째에, 키가 큰 빌딩.2004년 완성)이나, Shanghai World FinancialCenter(중국(홍콩을 포함한다)에서, 가장 키가 큰 빌딩.세계에서 5번째로 키가 큰 빌딩.2008년 완성)도, 웃돕니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매의 범선.요코하마 landmark tower의, 바로 아래에, 보존·전시되고 있는, 닛폰마루(nipponmaru).닛폰마루(nipponmaru)( 약 2,300톤(GT))은, 1930년에, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배로서 건조된, 일본의, 대형의 범선(sailing ship)입니다.닛폰마루(nipponmaru)에 대해서는, 나중에, 자세하게 설명합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 날의 점심 식사는, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 레스토랑·카페(cafe)에서 먹었습니다.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 레스토랑·카페(cafe)는, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)(요코하마시가 운영하고 있다)가, 직접 운영하고 있는 것이 아니고, 또, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)이, 민간의 회사에 운영을 위탁하고 있는 것도 아니고, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)이, 민간의 회사에, 관내의 레스토랑·카페(cafe) 용의 장소를 빌려 주는 형태로, 민간의 레스토랑 회사가, 직접 운영하고 있는 느낌입니다.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의 레스토랑·카페(cafe)는, 이탈리아 요리 레스토랑의, 레스토랑·카페(cafe)가 되고 있습니다(요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)에 입관하지 않아도, 이용할 수가 있습니다).요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의 레스토랑·카페(cafe)는, 전은, (현재란), 다른 회사가 경영하는, 이탈리아 요리 레스토랑에서, 그 때는, 저녁 식사로, 이용한 일이 있었습니다만, 현재의 회사의 경영이 되고 나서는, 이 때, 처음으로, 이용했습니다.

 

 

 

옥외석으로, 닛폰마루(nipponmaru)를 바라보면서 먹었습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.이 때, 내가, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의 레스토랑·카페(cafe)의, 점심 식사 바이킹(buffet)으로 먹은 것(이 날의 점심 식사).이 외, 디저트(dessert)를 먹었습니다.이 날은, 평일이었습니다만, 이 레스토랑·카페(cafe)는, 평일의 점심 식사는, (주변에서 일하는, 회사원등이, 부담없이 이용 할 수 있다), 싼 바이킹(buffet) 형식이 되고 있는 것 같습니다.쌌습니다만, 그저, 질이 높고, 싼 가격에 비해, 그저, 맛있었습니다.


 

 

전채등.

 

 

 

 

 

 

사라다(salad).사라다(salad)는, 한 그릇 더 했습니다.

 

 

 

 

 

 

스프(soup).

 

 

 

 

 

 

피자(pizza), 리좃트(risotto), 파스타(pasta).피자(pizza)와 리좃트(risotto)는, 한 그릇 더를 했습니다.이 외, 디저트(dessert)를 먹었습니다.

 

 

 

 

점심 식사 후는, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)에 입관했던(요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)을 견학했습니다).요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)은, 요코하마의 도심부의 해안에 있는, 요코하마시가 운영하는, 요코하마의 항구의 역사에 관한 자료관(규모의, 작은 박물관)입니다.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)은, 이 때, 처음으로 입관했습니다(전부터, 조금 신경이 쓰이고 있었지만, 신경이 쓰이고 있던 정도는, 매우 작았기 때문에, 꽤, 방문하지 않았습니다(꽤, 입관하지 않았습니다)).요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)은, 상상하고 있었던 것보다도, 볼 만한 가치가 있고(전시실은, 지하에 퍼지고 있고, 건물로부터 상상하는 것보다도, 쭉 규모가 큰 느낌), 전시 내용, 전시물등도, 흥미롭고, 상상하고 있었던 것보다도, 재미있었습니다.또, 자원봉사(volunteer)의 가이드(guide)(전시물의 해설원)의 분(아마, 일찌기 배에 관계하는 회사에서 일하고 있고, 정년퇴직된 (분)편)의 설명도, 자세하고, 알기 쉽고, 흥미롭고, 매우, 공부가 되었습니다.

 

 

요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 전시의 예...요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 팜플렛(leaflet) 등부터...전시 내용은, 뭐, 배, 지리, 도시, 역사에, 어느 정도, 흥미가 있는 사람 이외는, 조금, 싫증 해 버릴지도...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 좌하의 배의 모형은, 완치인 환(Argentina maru.일본의 여객선.1939년 완성.12,755톤(GT))의 모형입니다.사진 우하의 배의 모형은, 일본의 석유 탱커(oil tanker), 도쿄환(tokyomaru)(154,000톤(DWT).1966년 완성)의 모형입니다.도쿄환(tokyomaru)은, 완성 당시 , 세계 최대의, 석유 탱커(oil tanker)였습니다.덧붙여서, 1950년대반중순부터 1980년에 걸친, 세계 최대의 석유 탱커(oil tanker)의 변천은, 세면대·레어·페트로로아(Sinclair Petrolore)(55,000톤(DWT).1955년.미국), 유니버스·리더(Universe Leader)(85,500톤(DWT).1956년.미국), 유니버스·아폴로(Universe Apollo)(103,000톤(DWT).1959년.미국), 일장환(nisyomaru)(132,000톤(DWT).1962년.일본), 도쿄환(tokyomaru)(154,000톤(DWT).1966년.일본), 이데미츠환(idemitsumaru)(210,000톤(DWT).1966년.일본), 유니버스·아일랜드(Universe Ireland)(326,000톤(DWT).1968년.미국), 일본석유환(nissekimaru)(372000톤(DWT).1971년.일본), 그로브틱·토쿄(Globtik Tokyo)(477,000톤(DWT).1973년.영국), 닛세이환(nisseimaru)(484,400톤(DWT).1975년.일본), 시와이즈쟈이안트(Seawise Giant)(564,763톤(DWT).1980년.홍콩)되고 있습니다.이상의 11척의 석유 탱커(oil tanker)는, 모두, 일본제(일본의 조선소에서 건조된 것)입니다.덧붙여서, 시와이즈쟈이안트(Seawise Giant)는, 사상 최대의 석유 탱커(oil tanker), 한편, 사상 최대의 배로, 시와이즈쟈이안트(Seawise Giant) 이후, 현재에 이르기까지, 시와이즈쟈이안트(Seawise Giant)보다 큰, 석유 탱커(oil tanker), 및, 배는, 건조되고 있지 않습니다.


 

 

 

 

 

 

사진의 배의 모형은, 여객선, 천양환(tenyomaru)의 모형입니다.천양환(tenyomaru)(13,402톤(GT).1908년 완성)은, 동양 기선(1896년 설립.일찌기 일본에 존재한, 해운회사.현재, 존재하고 있는, 일본의 해운회사의 동양 기선(1974년 설립)이란, 다른 회사)의 여객선으로, 일본과 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 항로에서 활약했습니다.내장에는, 일본의 견직물을, 충분하게 사용한 아르·누보(Art Nouveau) 양식의 장식이 실시해지고 있었습니다.자매선에 지양환과 춘양환이 있었습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 74매.요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)을 견학한 다음은, 닛폰마루(nipponmaru)의 내부를 견학했습니다.닛폰마루(nipponmaru)의 내부를 견학한 것은, 이 때가 처음이었습니다(닛폰마루(nipponmaru)의 내부는, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관) 같이, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있었지만, 신경이 쓰이고 있던 정도는, 작았기 때문에, (외부는, 이 근처를 우연히 지나갈 때에, 언제나(빈번히) 보고 있는데), 꽤, 내부를 견학하지 않았습니다).

 

 

사진 이하 74매.닛폰마루(nipponmaru).

 

 

닛폰마루(nipponmaru)( 약 2,300톤(GT))은, 일본의, 대형의 범선(sailing ship)으로, 1930년에 건조되었습니다.닛폰마루(nipponmaru)는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배로서 건조되었습니다만, (새로운, 보다 큰 연습용의 범선(닛폰마루(nipponmaru) 2세.일본의 범선.세계에서도 유수한 고속 범선)이 건조되어 1984년부터 사용되고 있기 때문에(위해)), 현재는 사용되지 않고, 이 땅에서(요코하마의 도심부의 해안에서), 영구 보존 되고 있어 입장료(싸다)를 지불할 필요가 있습니다만, 누구라도, 내부를 견학 할 수 있는 것처럼 되어 있습니다.덧붙여서, 닛폰마루(nipponmaru)와 동시기에 건조된, 닛폰마루(nipponmaru)의 자매선으로서(닛폰마루(nipponmaru)와 동형의, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배로서), 1930년에 건조된, 일본의, 대형의 범선(sailing ship), 바다 오마루(kaioumaru)가 있습니다만, 바다 오마루(kaioumaru)는, 현재는, 토야마(toyama) 현(호쿠리쿠(hokuriku) 지방(일본의 중부 지방의 북서부)에 위치하는 현의 하나로, 호쿠리쿠(hokuriku) 지방의 동부에 위치한다)의 항구에, 영구 보존 되고 있습니다.

 

 

 

닛폰마루(nipponmaru)는, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 바로 앞에, 보존되고 있어 실질적으로, 요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의 전시물의 일부라고 말한 기분이 들고 있습니다.

 

 

요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의, 팜플렛(leaflet)보다...사진 위쪽.닛폰마루(nipponmaru)의, 모든 돛을 펼치는, 행사가, 연간, 약 12회, 실시되고 있습니다.사진 아래 쪽.바다를 달리는, 닛폰마루(nipponmaru)의 모습(이것은, 잘못되어 있으면(합성 사진이 아니었으면) 죄송합니다만, 이미지 사진(합성 사진)일지도...).

 

 

닛폰마루(nipponmaru)는, 1930년부터, 1984년에 은퇴할 때까지의, 54년간에, 11,500명의, 상업용의 배의 선원을 길러 이전, 지구를, 45.4바뀌 도는 거리(펴 183만 km)를 항해했던(요코하마 미나토 박물관(요코하마 minato 박물관)의 팜플렛(leaflet)보다...).


 

 

사진 이하 5매.닛폰마루(nipponmaru)의 외관.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 68매.닛폰마루(nipponmaru)(이하, 주로, 이 배라고 씁니다)에 승선해, 닛폰마루(nipponmaru)의 내부를 견학...상술한 대로, 닛폰마루(nipponmaru)의 내부를 견학한 것은, 이 때가, 처음이었습니다.닛폰마루(nipponmaru)의 내부는, 상상하고 있었던 것보다도, 볼 만한 가치가 있어, 재미있었다(흥미로왔다)입니다.닛폰마루(nipponmaru)는, 약 85년전에 건조된 배입니다만, 역시, 낡은 배는, 정취가 있군요.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

닛폰마루(nipponmaru)는, 요코하마 landmark tower의, 바로 아래에 보존되고 있습니다.요코하마 landmark tower(1993년 완성.높이 약 296 m)는, 완성하고 나서, 20 연수년 지납니다만, 여전히, 일본에서, 2번째에, 키가 큰 빌딩이 되고 있습니다.요코하마 landmark tower는, 이미, 세계적으로 보면, 약간의, 비싼 빌딩 정도가 되어 버렸습니다만, 큰 빌딩이어, 바닥 면적은, Empire State Building나 One World Trade Center(작년 완성한, 미국에서, 제일, 세계에서, 3번째에, 키가 큰 빌딩)를, 훨씬 더 웃돌아, Taipei 101(세계에서, 4번째에, 키가 큰 빌딩.2004년 완성)이나, Shanghai World Financial Center(중국(홍콩을 포함한다)에서, 가장 키가 큰 빌딩.세계에서 5번째로 키가 큰 빌딩.2008년 완성)도, 웃돕니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 우하의, 큰 관람차는, Cosmo Clock.일찌기, 세계 최대의 관람차인, 큰 관람차입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.장래, 상업용의 배의 선원이 되는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 학생의 방.학생의 방은, 공동 방이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 배는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배이므로, 사진의 방은, 이 배의, 교실의 하나.

 

 

 

 

 

닛폰마루(nipponmaru)는, 범선(sailing ship)입니다만, 기관(엔진)도 붙어 있고, 기관(엔진)으로 항행하는 일도 가능해지고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.이 배의 조리실.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 배가, 현역으로 사용되고 있었을 무렵의, 어느A 날의 것(1973년 5월 20일)한, 식사의 메뉴.아마, (당연한 일로서 메뉴에는 쓰여져 있지 않습니다만), (간식·야식 이외의) 어느 쪽의 식사도, 밥(rice) 또는, 팬이 뒤따른다고 생각합니다.아침 식사는, 된장국(miso soup), 날달걀, 맛내기 김, 해산물 조림(tsukudani.물고기, 조개류, 새우등을, 설탕, 간장등으로, 달짝지근하고, 익혀 채운(잘 익힌), 조림 식품), 채소 절임.점심 식사는, 햄(ham) 사라다(salad), 고등어의 구이, 국.저녁 식사는, 로스트 치킨(roast chicken), 물고기(갈치)의 구이, 중국풍스프(soup).간식·야식은, 핫사크(니혼바라산의, 대형의, 밀감류의 과일의 하나), 샌드위치(sandwich), 인스턴트(즉석의.더운 물을 사용하고, 간단하게 할 수 있다) 라면(instantnoodle).이것은, 아마, 학생 전용의 식사의 메뉴이다고 생각합니다만, 선생님(항해사등 )이나 선장 전용의 메뉴(식사의 내용)가, 학생 전용의 메뉴(식사의 내용)와 같았어인가는, 모릅니다.참고에, 군대에 관해서는, 제이차 세계대전 이전의, 일본의 해군에 대해서는, 배로의, 사관과 일반의 군인의 식사의 내용은, 완전히, 다른 같습니다만, 해상 자위대(제이차 세계대전 후의, 일본의 해군에 해당된다.근대의, 일본의 해군(1872년부터 1945년)의, 형식적인 전통은, 어느 정도, 계승하고 있다.아마...)의, 현대의, 배로의 식사는, 사관의 식사도, 일반의 자위대원(일반의 군인)의 식사도, (식기가 다른 정도로), 내용은, 기본적으로 같은 같습니다(아마...잘못되어 있으면, 끝나지 않습니다).제이차 세계대전 후의 일본은, 뭐든지, 계급 격차를 소멸 시키려고 하는 움직임에 있었으므로, 닛폰마루(nipponmaru)에 대해도, 아마, 적어도, 제이차 세계대전 후에 대해서는, 학생의 식사도, 선생님(항해사등 )이나 선장의 식사도, (다르다고 하면, 거의, 식기위로), 기본적으로, 같았어는 아닐까요...

 

 

 

사진 이하 2매.이 배의, 조리원(요리를 만드는 부문의 담당의 사람들)의 방.공동 방이 되고 있습니다.물론, 요리장(chef)은, 제대로 한 자격을 가지는, 전문의 요리인이 고용되고 있었다고 생각합니다만, 조리원(요리장(chef)의 지휘아래에서 요리를 만드는, 요리를 만드는 부문의 담당의 사람들)은, 학생중에서 선택되었는지, 그렇지 않으면, 전문의 종업원이 고용되고 있었는지는, 잘 모릅니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 배에는, 물론, 전문의 의사(의사)가 승선하고 있었습니다만, 사진의 방은, 의사(의사)를 보좌하는, 간호장의 방.개인실이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 11매.이 배는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배였지만, 사진 이하 11매는, 이 배를, 하나의 학교로서 보았을 경우, 선생님에 해당된다, 제대로 한 자격을 가지는, 항해사등의, 방의 예입니다.선생님에 해당되는 사람들(항해사등 )의 방은, 모두, 개인실이 되고 있습니다.

 

 

 

사진 이하 2매.삼등, 항해사의 방.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.기관 부원(아마, 기관 부문 담당의 학생) 12 사람을 통솔하는, 조기장의 방입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.통신장의 방입니다.무선실에서, 조난등의, 중요한 통신이 있으면, 자동적으로 경보가 우는, 긴급 자동 수신기가, 특별히 붙어 있습니다(전시의 설명보다...).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.일등, 항해사의 방(기억이 애매합니다만, 확실히...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.선장의 방.상술한 대로, 이 배는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배였지만, 이 배를, 하나의 학교로서 보았을 경우, 선장은, 교장 선생님에 해당됩니다.선장의 방은, 이부가게로 나누어져 있습니다.


 

사진 이하 3매는, 선장의 집무실로서 사용되고 있었다고 모두, 기항지에 있고, 손님의 응대·접대를 하는 방으로서 사용되고 있던 방입니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.선장의, 개인적인 방입니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.선장의 방의, 욕실(bathroom).이 배는, 아마, 선장의 방 이외는, 욕실(bathroom)은, 모두, 공동의 욕실(bathroom)입니다만(아마, 몸을 씻는 시설은, 샤워(shower) 위 밖에 붙지 않았다), 선장의 방에는, 목욕탕(욕조)이 갖춰진, 개인적인 욕실(bathroom)이 붙어 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 배의, 선장(교장 선생님에 해당된다)과 항해사등 (선생님에 해당된다)이, 식사, 회의, 오락, 사교등에 사용하고 있던 방입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.전에 kj로, 업(upload) 한 사진의, 재이용.사진 이하 3매의, 범선(sailing ship)은, 닛폰마루(nipponnmaru) 2세입니다.닛폰마루(nipponnmaru) 2세( 약 2,600톤(GT))은, 닛폰마루(nipponnmaru)( 약 2,300톤(GT).1930년 취항.요코하마의 도심부의 해안에, 영구 보존·전시되고 있다)의 후계의, 일본의, 상업용의 배의 선원을 교육하기 때문에(위해)의 범선(sailing ship)으로, 1984년에 사용이 개시되었습니다.자매선에, 바다 오마루(kaioumaru)(1930년 취항.닛폰마루(nipponnmaru)의 자매선의, 일본의, 상업용의 배의 선원을 교육하기 때문에(위해)의 범선(sailing ship))의 후계의, 일본의, 상업용의 배의 선원을 교육하기 때문에(위해)의 범선(sailing ship), 바다 오마루(kaioumaru) 2세가 있어, 닛폰마루(nipponnmaru) 2세는, 바다 오마루(kaioumaru) 2세와 함께, 세계에서도, 유수한 고속 범선이 되고 있습니다(wiki보다...).

 

 

 

사진 우측의 배가, 닛폰마루(nipponnmaru) 2세.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.닛폰마루(nipponnmaru) 2세( 약 2,600톤(GT).1984년 취항).닛폰마루(nipponnmaru)( 약 2,300톤(GT).1930년 취항)보다, 조금, 큽니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

요코하마 산책&음식 후편에 계속 된다...

 

 

 

 

 

 

 

 



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